職員による雑誌等への寄稿文
電気と九州2011年8月号 フンボルトペンギンの繁殖への取り組み
投稿日 : 2011年8月13日
福岡市動物園では、フンボルトペンギンとキングペンギンの2種類のペンギンの飼育をしています。今回はその中でフンボルトペンギンの繁殖への取り組みについて、話をしたいと思います。
私がペンギン担当になったのは2002年4月のことでした。その当時、当園のフンボルトペンギンの数はオス2羽、メス5羽の計7羽で、その内ペアを形成しているのは2組いたのですが、どちらのオスも高齢な上にそれまで一度も繁殖経験がなく、交尾・産卵しても有精卵が一度も取れたことがない状態でした。
また、2000年に繁殖経験のあるオスが死亡したことにより、このままではヒナの誕生は望めない状態でした。当のフンボルトペンギンは、日本国内で最も多く飼育されているペンギンで、その数は1,600羽を超えていますが、野生では1万羽足らずで絶滅が心配されている貴重な動物です。したがって、動物園や水族館は相互に個体などを交換することにより数を増やしています。
当園では、雌雄のバランスからオスの導入が必要と思っていたところへ、2003年4月に宝塚動植物園(兵庫県)の閉園に伴い、同園からオスが2羽やってきました。しかし、1羽は同年7月に、もう1羽は翌年2月に、メスとペアを組むことなく死亡してしまいました。というのも、フンボルトペンギンは新しい環境になじむのがなかなか難しく、移動した個体が一年目に死亡する確率は、5割を超えているというデータがあります。その解決策として有精卵移動という方法が推奨されています。卵のうちに移動させて仮親に育ててもらい、生まれた時からその環境にいるので新たに慣れさせる必要もない上に、血統的には別のものになります。そこで繁殖経験はないとはいえペアとしては2組いたので、2004年3月に佐世保市亜熱帯動植物園〔現:西海国立公園九十九島動植物園〕(長崎県)から2個の有精卵を譲り受け、繁殖を託しました。どちらのペアも順調に抱卵を続け、無事にヒナは孵ったのですが喜びもつかの間、2羽とも1週間とたたずに死亡してしまいました。
個体の導入、有精卵の移動と失敗が続いたところで、次の方策として飼育環境、飼育方法を見直し、改善することにしました。幸い、ペンギン舎のリニューアルも計画され、2004年12月に工事が完了しました。まず、巣箱をペンギンが出入りする扉とは別にその反対側にも、飼育担当者が確認したり巣材を入れたりする扉を付けました。それまでは扉が1つだったので、飼育担当者が覗き込むたびにストレスがかかり、落ち着いて抱卵・育雛が出
来ていなかった為です。また巣箱も一つ一つが無駄に大きく他の個体も容易に巣箱に入る事が出来た為、闘争が頻繁に起きていました。そこで、大人のペンギンが2羽寝そべってちょうどいいぐらいの小さなものに作り変えました。次に、カラスやサギなどの野鳥が入ってこないように、ペンギン舎全体を覆っていたネットをはずしました。その理由は、来園者の方が見やすいようにということなのですが、そもそもネットで覆っていた理由は、餌の与え方が餌をプールに投げ入れる方法をとっていたので、カラスやサギなどに横取りされていた為です。そのため、ハンドフィーディングという方法で、一羽一羽に手渡しで確認しながら、全ての個体が確実に食べられるように変更したので、ネットの必要がなくなったのです。また、獣舎全体も白が基調で
明らかに氷をイメージした状態になっていました。フンボルトペンギンはペルーとチリの海岸や沿岸の島々に生息しており、氷というよりは岩やサボテンがある温帯地域です。そこで壁を塗り替え、床面も石貼りにして植栽
を置くなど、見た目的に少しでも野生の環境に近づくようにしました。
いくら有精卵の移動のほうがいいと言っても、それを育てられる親がいなければ話になりません。日本で飼育されているフンボルトペンギンは全て個体番号がついており、種別調整者といわれる方が血統登録台帳を作り、管理しています。そのため個体の移動にしろ、有精卵の移動にしろ、種別調整者が血統的に問題ないと判断し、許可を出さないと話が進みません。そこで直接種別調整者の所へ行き、当園の状況を説明して個体の導入を依頼しました。そうして2005年4月に天王寺動物園(大阪府)からオス1羽、同年12月に長崎ペンギン水族館(長崎県)からオス1羽、2007年3月に平川動物公園(鹿児島県)からオスメスのペア1組を導入しました。以前のような失敗をしないために、確実に餌を与え、闘争になっても植栽の陰など逃げる場所を作り、新しい環境に慣れるのを待ちました。そのかいあって、2007年から現在に至るまで毎年のように繁殖が続いています。その後も2008年12月に熊本市動植物園(熊本県)からオス3羽を導入し、翌年5月にはカドリードミニオン(熊本県)と有精卵の交換を行い、そのヒナも無事に育っています。
2009年5月で私はペンギン担当から外れましたが、今ではフンボルトペンギンは26羽と大所帯になっており、少しずつ進んでいる動物園再整備計画では、ペンギン舎は今よりももっと大きく立派なものができる予定になっています。それに向け、これからはただ増やすのではなく、血統を考えながら繁殖を進め、遊びに来てくださった来園者の方に、かわいいヒナを観ていただきたいと思っています。
飼育展示係 江崎 幸子
私がペンギン担当になったのは2002年4月のことでした。その当時、当園のフンボルトペンギンの数はオス2羽、メス5羽の計7羽で、その内ペアを形成しているのは2組いたのですが、どちらのオスも高齢な上にそれまで一度も繁殖経験がなく、交尾・産卵しても有精卵が一度も取れたことがない状態でした。
また、2000年に繁殖経験のあるオスが死亡したことにより、このままではヒナの誕生は望めない状態でした。当のフンボルトペンギンは、日本国内で最も多く飼育されているペンギンで、その数は1,600羽を超えていますが、野生では1万羽足らずで絶滅が心配されている貴重な動物です。したがって、動物園や水族館は相互に個体などを交換することにより数を増やしています。
当園では、雌雄のバランスからオスの導入が必要と思っていたところへ、2003年4月に宝塚動植物園(兵庫県)の閉園に伴い、同園からオスが2羽やってきました。しかし、1羽は同年7月に、もう1羽は翌年2月に、メスとペアを組むことなく死亡してしまいました。というのも、フンボルトペンギンは新しい環境になじむのがなかなか難しく、移動した個体が一年目に死亡する確率は、5割を超えているというデータがあります。その解決策として有精卵移動という方法が推奨されています。卵のうちに移動させて仮親に育ててもらい、生まれた時からその環境にいるので新たに慣れさせる必要もない上に、血統的には別のものになります。そこで繁殖経験はないとはいえペアとしては2組いたので、2004年3月に佐世保市亜熱帯動植物園〔現:西海国立公園九十九島動植物園〕(長崎県)から2個の有精卵を譲り受け、繁殖を託しました。どちらのペアも順調に抱卵を続け、無事にヒナは孵ったのですが喜びもつかの間、2羽とも1週間とたたずに死亡してしまいました。
個体の導入、有精卵の移動と失敗が続いたところで、次の方策として飼育環境、飼育方法を見直し、改善することにしました。幸い、ペンギン舎のリニューアルも計画され、2004年12月に工事が完了しました。まず、巣箱をペンギンが出入りする扉とは別にその反対側にも、飼育担当者が確認したり巣材を入れたりする扉を付けました。それまでは扉が1つだったので、飼育担当者が覗き込むたびにストレスがかかり、落ち着いて抱卵・育雛が出
来ていなかった為です。また巣箱も一つ一つが無駄に大きく他の個体も容易に巣箱に入る事が出来た為、闘争が頻繁に起きていました。そこで、大人のペンギンが2羽寝そべってちょうどいいぐらいの小さなものに作り変えました。次に、カラスやサギなどの野鳥が入ってこないように、ペンギン舎全体を覆っていたネットをはずしました。その理由は、来園者の方が見やすいようにということなのですが、そもそもネットで覆っていた理由は、餌の与え方が餌をプールに投げ入れる方法をとっていたので、カラスやサギなどに横取りされていた為です。そのため、ハンドフィーディングという方法で、一羽一羽に手渡しで確認しながら、全ての個体が確実に食べられるように変更したので、ネットの必要がなくなったのです。また、獣舎全体も白が基調で
明らかに氷をイメージした状態になっていました。フンボルトペンギンはペルーとチリの海岸や沿岸の島々に生息しており、氷というよりは岩やサボテンがある温帯地域です。そこで壁を塗り替え、床面も石貼りにして植栽
を置くなど、見た目的に少しでも野生の環境に近づくようにしました。
いくら有精卵の移動のほうがいいと言っても、それを育てられる親がいなければ話になりません。日本で飼育されているフンボルトペンギンは全て個体番号がついており、種別調整者といわれる方が血統登録台帳を作り、管理しています。そのため個体の移動にしろ、有精卵の移動にしろ、種別調整者が血統的に問題ないと判断し、許可を出さないと話が進みません。そこで直接種別調整者の所へ行き、当園の状況を説明して個体の導入を依頼しました。そうして2005年4月に天王寺動物園(大阪府)からオス1羽、同年12月に長崎ペンギン水族館(長崎県)からオス1羽、2007年3月に平川動物公園(鹿児島県)からオスメスのペア1組を導入しました。以前のような失敗をしないために、確実に餌を与え、闘争になっても植栽の陰など逃げる場所を作り、新しい環境に慣れるのを待ちました。そのかいあって、2007年から現在に至るまで毎年のように繁殖が続いています。その後も2008年12月に熊本市動植物園(熊本県)からオス3羽を導入し、翌年5月にはカドリードミニオン(熊本県)と有精卵の交換を行い、そのヒナも無事に育っています。
2009年5月で私はペンギン担当から外れましたが、今ではフンボルトペンギンは26羽と大所帯になっており、少しずつ進んでいる動物園再整備計画では、ペンギン舎は今よりももっと大きく立派なものができる予定になっています。それに向け、これからはただ増やすのではなく、血統を考えながら繁殖を進め、遊びに来てくださった来園者の方に、かわいいヒナを観ていただきたいと思っています。
飼育展示係 江崎 幸子